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​食品サンプルとは

「食品模型」「料理見本」とも呼ばれる食品サンプルは、飲食店の店頭もしくは店内に陳列される料理の模型です。 商品を視覚的に細部まで説明するとともに、食品サンプルの側に商品名や価格を提示することによってメニューの役割を果たし、お客様へどんな料理がどのくらいの量でどんな食材が入っているかを見るだけで伝えることが出来るため、近年訪日外国人向け飲食店や海外でも需要が高まってきています。


飲食店のメニューは同じ料理であっても店舗によって形状や色、盛り付けが異なるため、食品サンプルは基本的に1点から作ることが出来る技術を職人は持っています。飲食店を運営される皆様の料理の写真や聞き取った仕様に基づいてオーダーメイドでひとつひとつ手作業による制作となります。その為、料理と等倍であること、食材がおいしそうに見えることなどが重視されています。

​食品サンプルの歴史

食品サンプルが日本固有の文化であることは、テレビや雑誌などの特集で知られる方も多くなってきていますが、大阪発祥の文化であるとご存知の方はとても少ないかと思います。そして素材についても蝋で作っていると思われている方が多くおられますので、実はすごい食品サンプルの歴史をご紹介したいと思います。


食品サンプルの歴史については諸説あるのですが、およそ100年くらい前から様々な場所で作られた記述が残っています。しかし、本格的に食品サンプルが商業美術としてビジネス化されたのは、大正時代から昭和初期にかけて大阪で考案された表現手法なのです。百貨店の食堂に置かれたことや、集客力のあるインパクトが強い立体看板ということで日本中に広がりを見せ、現在においてもなくてはならない商材として確立しています。

<1939年 第二次世界大戦 勃発>

戦争が始まったことで、石油製品であった蝋は軍事利用を目的として統制品目となり、大阪では規制が厳しくなり食品サンプルを作る為の利用が難しくなってしまった。

そこで、大阪で食品サンプル製作工場を創業された実業家である岩崎瀧三様が、地元である岐阜県郡上八幡へ疎開し、戦死者の葬儀用供物の模型を販売することで一時をしのぎ、第二次世界大戦が終結することとなるのです。

その為、今でも多くの食品サンプル工場が岐阜県郡上八幡にあり、日本の食品サンプルシェアの半分以上を今でも製造しています。

<1950年~1960年代>

当時大阪で技術を発展させた食品サンプル職人が戦争により、工場閉鎖を余儀なくされた事で、大阪に残った者や、静岡、名古屋等全国各地に疎開した者が戦後各地で食品サンプル会社を立ち上げることとなり、

・米や肉、魚、野菜などのパーツを作る会社

・菓子や果物に特化した会社

・技術を応用して医療用の内臓模型を作る会社

などそれぞれの技術を高め発展を遂げることとなったのです。このころ「料理のサンプル」という意味から今の「食品サンプル(しょくひんさんぷる)」という呼び名へ変わってきたようです。

<1970年~1980年代>

この年代に入ると、電気製品が普及し、ショーケースに照明を仕込んだ形が主流となり材質が蝋だと溶けてしまう現象が起き始め、各食品サンプル会社が製造方法を研究し蝋から合成樹脂へと急速に材質が変化していきます。ですので、実は蝋で制作する食品サンプルの技術が今では失われつつあるのです。

(デザインポケットは蝋での製造技術は持っておりません。)

<1990年~2000年代>

バブル崩壊後、印刷物が高品質かつ低価格で手に入るようになったことから、食品サンプルの需要は衰退。それに伴い、個人事業で工場を経営していた職人のほとんどが技術の伝承をせず、自身の代で工場を閉鎖しようと考える方が増えてしまった。

<2010年~>

ところが近年、食品サンプルは飲食店のメニューとしてだけでなくおもしろグッズ、海外へのお土産などといった用途で注目され、需要を取り戻している。先に述べたように、食品サンプルは一度衰退した時期があり、技術の伝承が止まってしまったのです。その結果、現在の職人は60~80歳代の方が多いだけでなく、業界団体や共通の定義なども存在していない為、これからの発展に不安を抱かざるを得ないという事で、株式会社デザインポケットは「日本食品サンプル普及協会」および、日本で初めて長期(1年間)で食品サンプル職人を養成する「食品サンプルクリエイターズスクール」を立ち上げ、この誇るべき日本の固有文化を世界中に広め、食品サンプルをグローバルスタンダードにするべく活動しています。

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